×沖縄

国内でも、フェアな関係・共に生きる関係づくりを――

 

㈲ネパリ・バザーロ※1 は1992年からネパールの子どもたちの教育支援と女性の地位向上を目的として活動してきた企業だ。
当初から現地の家庭の貧困問題解決のため、フェアトレード商品の企画・輸入・販売をし続けている。そんなネパリ・バザーロが沖縄でプロジェクトを開始した。

――なぜ「沖縄」だったのか。
今までのフェアトレードの活動との繋がりを探るため、2017年から代表を務める高橋百合香さんと、入社2年目の簑田萌さんからお話を伺った。【2021/06】

1992年の設立以来、ネパールのハンディクラフトや食品の企画開発・継続輸入により、ネパールで厳しい生活を余儀なくされている人々の就業の場の拡大を目指し、自立を支援。頻繁に生産現場を訪れ、顔の見える関係を大切にし、強い信頼関係に基づくパートナーシップを構築。国内でも障がいのある方などの仕事づくりや東日本大震災後の復興支援に取り組んでいる。神奈川県横浜市栄区に直営店を構えている

 

01:海外とのフェアトレードから国内での活動へ

”沖縄カカオプロジェクト”のお話をぜひしたいのです
インタビュー依頼をした際、㈲ネパリ・バザーロ(以下、ネパリさん)から返ってきた意外な言葉だった。

沖縄・・・?
フェアトレード商品の生産地域といえば発展途上国が主である。今回はネパールの話がメインとなることを予想していたが、意外にも出てきたのは国内の地名だった。しかし、この”沖縄カカオプロジェクト”※2 についてお話を伺ううちに、主に海外の生産者の支援のためにつくられてきたフェアトレードの理念や、対等な関係づくりの経験が、国内でも大きな可能性を生むことを知った。

「沖縄カカオプロジェクト」はネパリ・バザーロさんが進める活動で、沖縄でのカカオ栽培、沖縄を中心とする各地でのチョコレートづくりを通して沖縄に新たな産業をつくると共に、障がい者や一般就労が難しい人々に仕事の機会を生み出すことを目的としている。
現在はやんばると久米島でカカオの苗を育て始めたが、実が収穫できるまでには何年もまだかかる。
その間は、チョコレートづくりのノウハウ蓄積と市場づくりを準備している。そのため、南インドの農家から有機カカオ豆を輸入し、沖縄のパートナー企業で豆の選別やニブ加工まで行ってから、岩手県陸前高田にある自社の椿油生産工場で製品に加工。黒糖などの材料も生産者の顔の見える原料だけにこだわり、「LISAチョコレート」という様々な味のシリーズで販売している


私たちはネパールでものづくりを続けてきましたが、仕事を必要とされている方は国内にもいらっしゃることはずっと意識として根底にありました。今まで障がい者の働く作業所でクッキーを作って頂いたり、今もカタログ発送作業や商品のパッキングをお願いしています。そうして国内での仕事づくりを少しずつ行っていましたが、やはり大きな転機となったのは3.11の東日本大震災でした」と、代表の高橋さん。

そこから長期的な被災地支援として気仙沼地域で椿油の自社工房を構えるプロジェクトなど、国内での商品生産も本格的に始動するようになったという。そして、2017年には沖縄でもプロジェクトを始めた。

きっかけは、人気商品であるカレーのスパイスの唐辛子(チリパウダー)をネパールから少量輸入し続けることが、輸入システム上難しくなったから。代わりに国内で生産者を探すこととなり、ネパールと同じ温暖な気候の沖縄で「ネクストステージ沖縄合同会社」さんと出会ったという。
こちらの企業も沖縄伝統の無農薬野菜の6次産業化を目指しながら、仕事を得にくい障がい者や高齢者などの雇用機会をつくっている。つまり、ネパリさんと想いを共にする会社だ。この出会いが、後に沖縄カカオプロジェクトの構想へと繋がっていく。

 

沖縄カカオプロジェクトこだわりのチョコレート (写真提供:ネパリ・バザーロさん公式ホームページより)

 

02:なぜ「沖縄」だったのか

実は、チリパウダーの生産者を沖縄で見つけたのは、偶然ではない。
ネパリ・バザーロ創業者の土屋春代さんの中には子ども時代からずっと沖縄に寄せる強い想いがあった。戦争では凄惨な地上戦が繰り広げられ、集団自決など多くの民間人が犠牲となり、今もその傷跡が残っていること。その後の米軍基地問題や差別など…。


土屋は沖縄の人々を虐げた状態で日本が発展してきたことに、子供の時に強く矛盾を感じたそうなんです。それで、いつか沖縄と仕事で関わりたいっていう想いを、ネパールと関わりながらも持ち続けていました」と高橋さん。
その表れとして、ネパリさんの商品カタログには、沖縄カカオプロジェクトの説明とともに、沖縄の辛い過去に想いを寄せる文章が数ページに渡ってしっかりと添えられている。このプロジェクトで作られたチョコレートを味わうことは、そうした過去を背負う沖縄について共に学び、人々を想うきっかけになるという。

 

03:”夢”がある産業・笑顔になれる仕事づくり

沖縄カカオプロジェクトは、土屋さんが沖縄を訪れた際に”カカオが沖縄で育つんですよ〜”という何気ない会話を聞き、「あ、チョコレートが作れる!」と思いついたと言う。とはいえ、沖縄は気候の影響も受けやすく、まだほとんど栽培されていないカカオ豆を産業までにするのは容易ではない。

一方、高橋さんの声は希望に満ち溢れている。
沖縄で新しい”夢がある産業”、”みんなが笑顔になれる仕事づくり”が、私たちが今までネパールでやってきたようにできたら・・それは素晴らしいね!! ということで、プロジェクトの構想は始まりました。やっぱりチョコレートってみんなが笑顔になりますよね

沖縄でカカオの実がとれるにはまだ何年もかかるので、当面はインドの農家から良質な有機カカオ豆を仕入れ、先述の沖縄の企業「ネクストステージ」と陸前高田の自社工房で、まずはチョコレート生産のノウハウを蓄積している。

いずれ沖縄にカカオが育ったら、他にもチャレンジする農家さんが出てくると思うんです。そうしたら、私たちは誰にでもこのノウハウを伝えていく予定です。また、沖縄産のチョコレートを作りたいという方がいらしたら、その時も製造方法を伝えていきます。惜しみなく!」と高橋さんは笑顔で強調した。

カカオ製品づくりは現地でとても重宝される産業でもあると高橋さんは補足する。
カカオは発酵後に保存が可能で、豆の選別やニブ加工など、生鮮食品と異なりシーズンを問わず一年中仕事を生む。また、カカオマスは熟成ができ、ネパリさんのチョコレートのように添加物が一切含まれていなければ「置けば置くほど美味しくなる」という。賞味期限という販売のハードルが低いと、沖縄北部など市場にタイムリーに出すことが難しい地域でも可能性が広がる。今はやはり観光が主な産業である沖縄に、新たな道筋を生む、まさに夢のある産業である。

 

【左】ネパリさんが久米島で育てているカカオの苗。カカオの苗とビニールハウスの資材は、「カカオフレンズ」(後述)の代金の一部やプロジェクトへの寄付で購入している
【右下】沖縄カカオプロジェクト商品。パッケージも沖縄らしくギフトにも最適 (写真提供:ネパリ・バザーロさん)

 

04:福島の問題、沖縄の歴史、ハンセン病患者の差別…
目を向けるきっかけに

高橋さんの話は一旦沖縄から”福島”に移る。
私たちにとってもうひとつ大事な地域があって、それが福島です。私たちは東日本大震災後に、岩手や宮城に支援物資を届けたり、陸前高田に自社の椿油工房を作ったりしましたが、福島には仕事づくりとしてダイレクトに関わる機会がなく、ずっと何かできたらという想いを抱えていました。そこで、沖縄カカオプロジェクトと福島をどうにか結び付けられないかと思案していたとき、接点となったのが、沖縄・久米島の保養所「球美の里」でした。日本で唯一民間で通年、福島の子どもたちを保養する施設です

現在は、沖縄カカオプロジェクトの一貫として「球美の里」を支援する寄付金を募っている。チョコレートを通じて「福島の問題を伝え続け、子どもたちを守っていくことに繋げたと高橋さんは話す。

様々な人の人生や生活に想いを馳せる機会をつくり、繋がりをつくってくれるネパリさんのチョコレート。新発売の「LISAチョコレート シーソルト」もまた、大切なことに目を向けさせてくれる。
「LISAチョコレート シーソルト」は、ミネラル豊富な粗塩をショリショリっと効かせた夏にも嬉しいチョコレートだ。沖縄本島北部の小さな島である屋我地島(やがじしま)は製塩発祥の地ともいわれ、その美しい海からとれた塩が使われている。屋我地の塩を使うのは、職人たちの伝統の塩づくりを守ると共に、もう一つ深い理由がある。

「屋我地」といえば有名なのが、国立療養所沖縄愛楽園。ここに迫害を受けたハンセン病患者が1938年から強制的に収容され、戦時中も過酷な環境におかれたという。ハンセン病が薬で治る病気と判明しても尚、隔離政策や断種など残酷な差別と人権侵害が長年日本で行われ続けたことを物語る場所だ。

なんでもっとこういう問題を知ろうとしなかったんだろう?!っていう、いろんな想いがありました。屋我地島でとれたお塩をチョコレートに入れることによって、手にして下さった方がこの塩のもう一つの背景に想いを馳せてもらうきっかけになればなと思い、商品開発に至りました」と高橋さんは語る。

 

【左】「沖縄カカオプロジェクト」新製品の”LISA チョコレート シーソルト”¥1,200(税抜)【右】沖縄の愛楽園でハンセン病患者の辿った道のりについて学ぶ
ネパリ•バザーロ創設者の土屋さん。できる限り現地にスタッフが出向くことで、空気を共にし、学ぶことを大切にしているという (写真提供:ネパリ・バザーロさん)

 

05:生産現場の人々の笑顔

沖縄の生産現場での様子については、入社2年目の若手社員である簑田さんが、昨年初めて行ったときの様子をまるで情景が浮かぶように生き生きと語って下さった。

カカオ豆の選別は、ハンディキャップを持たれている方がされているのですが、現場に行くと自信と楽しさに溢れているのがすごく伝わってきます。豆の選別も鼻歌を歌いながらすごいスピードで楽しそうにされていました
カカオニブにする工程について私が質問をしたら、質問以上の答えをわーっと返してくれて(笑) …チョコレートを手にとって下さる方も笑顔になると思うんですが、プロジェクトの仕事をする方々も楽しさを感じて下さっています

黒糖をつくる工房を訪ねた際は、
私、実は黒糖が苦手だったんですが、すごくおいしくて!商品には生産者の性格が伝わるって聞いたんですけど、代々受け継いできた黒糖づくりを守りたいという西平さん(職人)の情熱と想いが本当に商品に表れているようでした。私が行ったときには”よく来てくれたね〜”と言って肩をぽんぽんってしてくれたり、人柄が伝わるんだなーと思って」とはにかむ簑田さん。
その表情から、現地の生産者さんとの温かい交流と、確かな信頼関係づくりも、ネパリさんの良質な商品づくりに繋がっていることが分かった。

また、陸前高田の工房では2019年からチョコレートづくりにゼロから挑戦。
今ではみんなショコラティエとして誇りをもっています!0.1℃でも温度が変わると出来が左右される職人技なので、みんなヒーヒー言いながら必死で頑張っています(笑) でも、美味しいチョコレートができたら嬉しいですし、みんなに応援されるのも嬉しい。また、陸前高田のスタッフたちは今まで震災後に”支援される”立場だったので、今度は沖縄の人々の力になることができて、とてもエンパワメントされています」と高橋さん。

 

【左】震災後の復興のためにつくられた陸前高田市の椿油工房のスタッフさん。沖縄の人々の応援のため、チョコレートづくりのノウハウ獲得に一から挑んだ
【右】チョコレートの材料はシンプルにカカオと黒糖だけ。添加物を加えず安心安全でおいしいチョコレートづくりを目指している (写真提供:ネパリ・バザーロさん)